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PCCAA清書2

このプロジェクトの成果を一部参考にした酒匂寛さんの翻訳が「小学生からはじめるわくわくプログラミング」(阿部和広, 2013, 日経BP)に収録されています。--abee2
これがWeebに転載されています。アラン・ケイが予測した「子供たちのパソコン」 - アラン・ケイが予測した「子供たちのパソコン」:ITpro
合わせて、書下ろしの「Dynabookとは何か?(What Is A Dynabook)」も転載されています。アラン・ケイが振り返る「Dynabook」の核心:ITpro

http://www.mprove.de/diplom/gui/kay72.html

これは Kay72a の転載です。原稿起こしは J.P.Tuttle、HTML化はMatthias Müller-Prove によって行われました。
次の"組版"規則が使用されます:
  • 写真の説明は[角かっこ]で行なう
  • 強調テキストは PDF 版中では下線で示されている
  • (読み取ることができない、あるいは欠落していて)確信が持てない部分のテキストは、もしある程度内容の推測がつくならば{中括弧}で示されています。一方、見当もつかない場合は_で示されています。
初出: the Proceedings of the ACM National Conference, Boston Aug. 1972






あらゆる年齢の「子供たち」のための
パーソナルコンピュータ

アラン・ケイ
ゼロックス パロアルト リサーチセンター



要約


このノートでは、個人で携帯可能な情報操作機器の出現と、子供たちと大人たちがその利用によって受ける影響についての考察を行ないます。まるで空想科学小説のようだと思われるでしょうけれど、現在の世の中の小型化と低価格化の趨勢を思えば、ここで議論される多くの概念が近いうちに現実化することは、ほぼ確実なことです。


「世界を知るためには、それを自ら構築しなければならない」
ー パヴェーゼ


長年にわたり、技術を活用して社会問題を救おうとするのがひとつの伝統でした:「スラムが問題?ならば低コストの住宅を作りましょう!」「テレビを買う余裕がない?では欲しい時に買えるように、安価なものを作りましょう。たとえ支払いが済む前に壊れるとしてもね!」「子供たちは学んでいないし、教育コストも高すぎる?では、あなたの子供たちがテストに合格するのを保証する、教育メカを作りましょう!」

残念ながら、これらの「救い」のほとんどは、単にサビの上にペンキを塗っているだけです。最初の問題の原因は残されたままなのです。教育のゴールは、各々が考える「最終成果」の様々なモデルによってさらに分かりにくいものになっています。例えば、社会はより多くの構成員(文化的遺伝子)を欲していますし、親たちは(子供に)成功や、社会への適応、そして名声を求めたり、あるいは無関心だったりします。肝心の子供には訊ねられることはありません(子供は単に植物の種を蒔いて、それらが成長するのを見たいだけかもしれません)。教師たちはどうでしょう?彼らにも。もちろんさまざまな人がいて、見識ある人物(対話しようとしている相手が何か、状況を説明する現在の子供のモデルがどういうものかに関する、自分自身の良いモデルを持っている)も居れば、教える意欲に満ちた(でも才能に欠ける)ひとも居ますし、単なる仕事と割り切っているひと、あるいはより残念な場合として大学で単位を取りやすかったから教育に流れ着いてしまい、若い頃のツケを通して自分たちの運命をしぶしぶ認めているようなひとたちもいるのです。

技術者たちは、少なくともこの最下層のカテゴリーは教育マシンによって置き換えられると指摘しています。技術者たちがあまり理解していないのは、実現されるものは(意欲的だが才能に欠ける)真ん中のカテゴリーにぴったりはまるマシンがせいぜいであるということです。それではテクノロジーは最初のカテゴリーの教師の属性をもつマシンを提供することができるでしょうか?おそらくは可能です。しかしまず最初に、そうすることが必要で望ましいゴールなのかを決めなければなりません。

この短いノートで考察したいものは、テクノロジーを駆使したメディアを通して強化することができると私たちが考えている学習過程の様々な側面についてです。それらの概念のほとんどは、子供について述べた、たくさんの理論にその起源を求めることができます。私たちはひとりの子供を「名詞」というよりも「動詞」として感じています。単なるモノではなく役者であり、単に大きさを拡大しただけのハトやラットでもありません。子供は目の前の問題に対処するために、自分を取り囲む環境のモデルを探そうとします。その理論は着想Aから次の着想Bに進むにはどうするかといった「実践的」なもので、厳密な論理の道筋をたどるといった「一貫した」ものではありません。子供へ影響を与えるときに、子供の中にあるモデルを教える側のモデルで置き換えてしまおうとするのではなく、子供自身の現在の考えのモードのなかに手がかりを置いていく方法を採りたいと思っているのです。

私たちはこのプロセスの中で、テクノロジーは本以上に必要とされる構成要素だとは思っていません。 しかしそれは、受動的なものではなく、(子供のように)能動的なより良い「本」をもたらしてくれることでしょう。その本は、テレビが持つような注意を惹きつける力を持ちながらも、その力をテレビ局側からではなく、子供自身によって制御できるようなものになるでしょう。それはピアノのようなものですが:(はい、これもテクノロジーの産物です)ツールであり、おもちゃであり、表現のメディアであり、果てしない喜びの源泉であり…そしてまた、他の物と同様に、無知なものの手にかかれば酷い苦役の元にもなるのです!!

この新しいメディアは、災厄から"世界を救う"ことはありません。本と同様に、それは視野と問題の新しいセットをもたらすだけです。本は何世紀にもわたる人類の知識を包みこみ、全ての人々に届ける役割を果すことができました。おそらくアクティブメディアも思考と創造の興奮を伝えることができるでしょう!








[二人の子供が芝生の上でDynaBookを使っている様子]


バシィッ!美しい閃光と効果音と共に、ジミーの宇宙船がバラバラになりました。宇宙戦争はまたベスの勝利です。9歳の子供達は家の近くの公園の芝生に横たわっていました。彼等のDynaBookはお互いに接続されていて、画面にはベスの宇宙船が勝ち誇って浮かんでいる宇宙空間が映っています。

「またやる?」とジミーが聞きました。

「ううん、」ベスが言いました。「簡単すぎる」

「うーん、本当の宇宙だったら、太陽を周る軌道になるんだ。そしたら絶対勝てっこないんだから!」

「へー、そう?」ベスは興味をそそられました。「太陽は、どうすればできるの?」

「うーん、えっと、そうだね。もし宇宙船が太陽のない空間にいたら、そのまま動き続けるんだ。何も止めるものがないから。噴射ボタンを押すたびに、プログラムが宇宙船の向いている方向にスピードを足すんだ」

「そうよ。だから宇宙船を回転させてから噴射するの」彼女は、何回かDynaBookのボタンを実際に押して、動かして見せました。「でも、太陽があると物体は太陽に落ちていくから・・・今のとは違うのね」

「でも見てよ、ベス」ジミーはベスの宇宙船を指して、「噴射ボタンを押しっぱなしにしていると、どんどん速くなっていく。ヤコブソン先生が物体は引力でどんどん速くなっていくって言ってたのと同じみたく」

「うん、そうね。石が地面に向かってロケット噴射するみたいにね。ねえ、宇宙船にそんな風にスピードを足していくのって、どう?」
「どういうこと?」ジミーはよくわからなくなりました。

「これ見て」ベスの指がDynaBookのキーボードの上を飛び始めて、プログラムを書き変えはじめました。そのプログラムはベスとグループメンバーが「たまたま」ヤコブソン先生の宇宙戦争ゲームを見かけて、数週間前に書いたプログラムでした。

「あなたは宇宙船が太陽に向かっているかのようにスピードを足せばいいの!」ベスが言うと、ベスの宇宙船が落ち始めました。ただし、太陽に向かってではありませんでした。「あ、だめ!あちこちに飛んじゃってる!」
ジミーは何が間違っているのかわかりました。「太陽の方向にスピードを足さなくちゃ。宇宙船がどこにあっても」

「でも、どうやって?もうー!」

「ヤコブソン先生に訊きに行こう!」彼等はDynaBookを持って、芝生を横切って先生のところに駆けていきました。先生はベスやジミーの他のグループメンバーが何を勉強しようか見つけるのを手伝っていました。

ヤコブソン先生は、彼等が物事を知りたくて仕方無い様子を見て、目を輝かせました。彼等はいまだに2歳児のように知りたがりなのです。ヤコブソン先生のような人は、人が皆生来権利として持っている好奇心と創造への情熱を保ち続けるために全力を尽くしています。

ベスとジミーの話から、ヤコブソン先生は子供達が大切な概念を再発見したことと、彼等の「宇宙」に太陽を加えるのには1つのヒントで十分だということを見てとりました。

先生は熱狂しながらも、ちょっとぼやかして言いました。「そりゃすごいね!図書館に行けばきっとわかるよ」そこで、ジミーはDynaBookを教室のLIBLINKに接続し、遠い過去からの思考と知識を受け継ぎました。それはDynaBookで詳細に読むことができます。それはあたかも限りない宇宙の終りなき航海のようでした。いつものことですが、ジミーは最初の目的を覚えているのに少々問題がありました。何か興味を引かれるものを見つける度に、それを後で見られるようにコピーを取ってDynaBookに送りました。ベスがジミーの脇腹を突いて、ジミーはようやく必要だったものをより真剣に探し始めました。ジミーは探しやすいようにDynaBookに簡単なフィルターを設定しました。そして・・・

ベスとジミーが座標系の概念を発見しようと真剣にがんばっていたちょうどその頃、ベスの父親は大事な会議の準備のために飛行機に乗っていました。彼は、朝にビジネスマスターファイルから関連した背景事実を要約たものを精読しました。そしてときどき読むのを中断して、コメントを音声で入れました。彼はコメントをタイプ入力しないのはいくぶんアナクロだとは知っていました。(未だにジョーンズ女史がタイプする必要があります)彼は、長年約束されてきた音声認識機能が自分のDynaBookに加えられることを切に願いました。地上に着いて、空港のストーリー販売機の1つに貼ってあった派手なポスターが彼の目にとまりました。彼はヒロインが本当に「独創的」なのかを「ちょっと確認」しておこうと、DynaBookをストーリー販売機に接続しました。実際、ヒロインは「独創的」でした。DynaBookのコピーキーを押すと(奥さんのアリスには知る由もありません)、ストーリー販売機にコピーを取るための料金は払っていないと言われて、ちょっと悔しい思いをしました。

彼はビジネス的な頭に切り替えてタクシーに乗りました。そして競合相手の見積りをチェックしておこうと決めました。DynaBookで情報をスキャンしながら、これは5年前にはやっていなったことだと思い起こしました。自分の手でやったり、人にやらせるには、あまりにも大変なことだったのです。そしてまた、彼は飛行機に乗っている間に思いついた見積りの数字の新しい見方について考えました。

そのころにはベスは、もし太陽が"0"の位置に置かれていたらその問題は馬鹿げているほど簡単だということに気付いていて、船の位置に応じて、単に宇宙船の「水平方向」と「垂直方向」のスピードを少し減らすようにしました。彼女や他の子供たちが前に作ったお絵描きやアニメーションはすべて、その時点で子供たちが備えていた能力の範囲とぴったり一致する相対性の概念を使うことによって成し遂げられました。彼女はその時心の中でいくつかの独立した考えを持つ用意ができていました。子供たちが獲得した線形・非線形の概念に対する直感的な感覚は、科学の偉大な一般化のいくつかを後に理解するための資産となりました。

宇宙船が完成した後、彼女はジミーを見つけてDynaBookを接続し、彼を宇宙戦争で飽きるまで叩きのめしました。ジミーはベスほどは強くない対戦相手を探しにいったので、ベスは自分のDynaBookで前に書いた詩を取り出し、数行を編集して改良しました・・・


********


今や、望めばいつでもどこでも使えるような"DynaBook"をベスのような子供や子供たちのお父さんに提供することは、現在の技術でも実現可能です。DynaBookは、学校の図書館のように(または、ビジネス情報システムのように)、未来の「知識のインフラ」を通して他の人とコミュニケーションするのに使うことができます。しかし多くの場合、現在紙やノートが使われるのと同じように、このパーソナルなメディアは、所有者の自分自身との内省的なコミュニケーションに使われることになるだろうと私たちは考えています。

道具というものは媒体の操作を助けるもので、人間は「道具を作る動物だ」という決まり文句で表現されます。コンピュータも多くの人は道具だとみなしています。しかし、明らかに、本というものは道具以上のものであり、人間もツールを作るだけの存在ではありません・・・人は世界の発明者なのです。人間がものを見たり言葉を使う方法を知った瞬間から、それぞれの新しい世界は、思い描いた構造を埋め込むことのできる表現の媒体(および制約)と言う役割を果たし、それは通常、道具の助けを借りて行われます。コンピュータはどうでしょうか? コンピュータも明らかに道具以上です。典型的なマクルーハン理論の流儀においても、コンピュータのコンテンツの大部分には以前のメディアからのものが採用され、コンピュータ特有の性質はまだ発見され始めたばかりですが。

ではパーソナルコンピュータとはなんなのでしょう。パーソナルコンピュータは任意の記号的概念を保管し表現する媒体であると同時に、それらの記号的概念の構造を操作するための有用な道具のセットであり、そのレパートリーに新しい道具を追加することもできるものであってほしいと考える人もいるでしょう。もう一つ忘れられがちな制約は、書籍や印刷よりも、少なくともいくつかの点で優れていて、かつ、他の媒体よりも顕著に劣っていないことです。(この言及は、すでに知られている商用ディスプレイデバイスを考慮することを禁止しているように見えます。)「パーソナル」というのはそのユーザによって所有され(TVよりも高価ではない必要があります)、持ち運びできる(私にとってはユーザが簡単にそのデバイスとその他のものを同時に持ち歩くことができることを意味します)ということを意味します。森の中で使うこともできる、というようなことも追加する必要もあるでしょうか。(1, 7, 0)



["DynaBook"と教育]



「One must learn to think well before learning to think. Afterward it proves too difficult.」
ー アナトール・フランス


最近、人工知能の分野と、教育の分野の(一部の)研究者の間で、子供たちが世界についての彼ら自身のモデルを獲得する方法を確かめるのが流行りつつあります。(かつては、知的な振舞いというものを人間の特性を考慮に入れない方法で模倣できると考えられていました。)先導するニューウェルとサイモン、パパートとミンスキー、ムーアとアンダーセンに続いて、今では多くの人が、まだほとんど分かっていない、子供も大人もどうやって知識を獲得し操作しているかということについて興味を持っています。中でも興味深いのは、子供が発達の様々な段階で何をしているかについて調査を行ったピアジェ、ブルーナー、ハート、カガン、その他の人々によって主に構築された初期の発達とモデルの理論です。

もう一つ関連のあるグループとして、子供たちが成熟の様々なレベルで実際にどのようなことができるかを発見することに興味を持っているグループもあります。2歳から5歳の早い年齢の子供たちは普通考えられていた以上に学習能力が高いと最初に結論づけたモンテッソーリについても触れる必要があるでしょう。O. K. ムーアは、反応的な環境を介して、とても幼い子供たちが読み、書き、要約することを学ぶことができることを示しました。鈴木鎮一は、3歳から6歳までの何千人もの子供にバイオリンを弾くのを教えることに成功しました。ブルーナーとカガンは、たとえ0歳児(あるいは0ヶ月児)であっても、視覚的な区別と一般化について以前考えられていましたことよりも遥かに高い能力を持つことを実証しました。(2)

脚注: 社会学上の理論がいかほどに、どこまで証明可能かには興味があるところです。子供たちには素晴らしい能力があるという考えを支持する多くの証拠があるだけではなく、子供たちは本当にバカで、学ぶためには終わりのないほど繰り返しが必要であることを示す(悲観的な精神によって集められた)証拠も同じくらい存在しています。ホーソン実験は、私たちはできる限り楽観的であるべきであり、子供たちはいつも私たちを救ってくれると主張しています。

特に O. K. ムーアとシーモア・パパートの仕事と思想はDynaBookを生み出した考え方に影響を与えました。子供は能動的な主体で創造者かつ探検者でもあり、一般に思われているよりもずっと知的な能力があると二人とも感じていました。

ムーアの「トーキング・タイプライター」を導いた幾つかの原理は検討に値します。子供は長時間集中力を持続する能力に欠けているのではなく、ある考えや行動に敬意を払ってずっとおなじを演じ続ける事ができないのだとムーアは感じました。ある考えに対して「がまん強い聴き手」の役は、「活動的な主体」、「審判」、「ゲームプレイヤー」などの他の役が無ければすぐに退屈や注意散漫になってしまいます。たくさんの視点を許容する環境は子供の子供の識別したり、抽象化したり、統合化したりする活動にとても適しているのです。

「安全で秘密」な環境、そこで子供たちが社会的物理的に傷つく事なくどんな役も演じる事のできる事は一日の中でも大切です。たとえ技術と知識を時々友達や大人の前でしっかりと確認する事が必要でも、だれにも咎められずに「思い思いの事」をする全く安全な時間が無くてはいけません。ムーアの言う「生産的」な環境とは、学んだ事を新しいアイデアの一部として(また、さらなる学習のために)、使えるようになるようなものです。結局、子供の活動に即座に反応し子供自身のモデルを手に入れられる環境は非常に重要なのです。

この「トーキングタイプライター」はこれらのアイデアを結晶化したデバイスで(最初は壁の裏に隠れた大学院生が演じていました)、小さな子供の能力や傾向についての沢山の美しい洞察に導くものです。(3


「コンピュータが子供をプログラムするべきか、子供がコンピュータをプログラムするべきか?」
ー S. パパート


子供たちが自分自身の目的(アニメーション、ゲームなど)のために自分でプログラムを書ける環境を通して「考える事を子供に教える」というパパートの仕事は、人工知能とピアジェという哲学的背景がありますが、際立ってムーアの精神に似ています(4, 5, 6)。

LOGO 言語は、テキスト、グラフィックス、音楽、子供たちのプログラムによって制御されるぎくしゃく動く機械仕掛けの「タートル」を実現するために(タイムシェアリングを使って)使われています。パパートの LOGO の仕事は、もしも頭文字をとってコンピュータを使った(Computer Aided) 教示(Instruction)では無く、洞察 (Institution) や創造(Inspiration) と言ってもよいなら「CAI」と呼べるでしょう。しかし現在多くの場合、コンピュータが関係する教育はラットやハトを使った行動工学者の実験に由来する(あらかじめ)プログラムされた学習を基にしています。パパートの見方は一方で、(奇妙な事に)ほとんどが実際に子供と子供がどのように世界を捉えるかについて研究したピアジェとその仕事との交流に大きな影響を受けています。

わたしたちの事業は後者にとても共感しています。どれだけ正しくテストに答えられたか、どれだけ一年にテストを通ったかで発達をみるのではなく、むしろ人生における「システィーナ礼拝堂天井画」に興味があるのです。これは技術の習得を軽視しようと言っているわけではありません。「システィーナ礼拝堂天井画」は夢と夢を描く偉大な技術の両方を健全に使わなければ成立しません。ダ・ビンチは、「手を働かせない精神には芸術は無い」と言ったそうです。
人は(スキーなどの)スポーツの技術の完成に嫌がらずに喜んで何千時間もかけるとパパートは指摘しています。明らかに学校と勉強は子供の興味を惹かないばかりか、自然と生まれる知的技術を学ぶ事でやってくる楽しみをも遠ざけてしまっているのです。

子供が「行為によって学ぶ」事、そして子供が「できる」事と二十世紀の大人の振る舞いの間にある遠い哲学的距離が近代教育の疎外を生んだ事を、デュウェイ、ピアジェ、そしてパパートとわたしたちは共に信じています。アフリカの子供が弓矢で遊ぶ事で将来の大人の活動に参加している一方で、アメリカの子供は役に立たない(看護服を着て人形の世話を焼く等の)真似事にふけるか、何年も後にならないと実を結ばず、それまで疎外されたままの活動を強いられるのです(算数: 「かけ算は役に立ちます - ほら、本に書いてある問題を解けますよ」音楽: 「バイオリンを練習しなさい。三年後には音楽について教えてあげるかもしれません」など)。

もしも子供に何かを学んでもらいましたいなら、感性と技術を身につけるために、本物で楽しい何かを「する」手段を彼らに提供するのは明らかに私達次第です。絵を描く事は難しいですが、練習は楽しい、なぜなら絵の完成はその分野を完全に習得しなくても実現できる小さな目標だからです。

残念ながら、楽器の演奏と音楽的思考の習得はもっと大変です。ほとんどの近代的な鍵盤楽器やオーケストラの楽器の練習では、何ヶ月ものあいだ子供や大人が満足するような小さな目標がありませんし、音楽とは何か、自分自身でどのように「する」かという洞察を何も得られません。これはどちらかというと板に「番号どおりに」絵を描くような「繰り返しと修行」に似ています。しかも自分で番号や絵の具を選ぶ事さえできないのです!

一般的に言って、計算や数学の勉強はさらに悪い状況です。かけ算を使って一体子供たちは何を「する」のでしょうか。普通に答えると、算数の問題集を解く事になります!典型的なお堅い答えは、「練習して学ばなくてはならない物もある」というものです。(幸いにも、子供はこのような状況で母国語を学ぶ必要はありません) パパートの子供たちはコンピュータで書かれたアニメーションの大きさを変更するためにかけ算をつかわなければなりません。彼らはかけ算を使って何か「する」事があるのです。


「発生的認識論」



ジャン・ピアジェのライフワークは広大で奥深く表面的な要約はほとんど意味を成しません。すでにいくつかの要約や批評(例: Furth: Piaget and Knowledge: Theoretical Foundations)が存在するので、ここではより厳選したものだけを取り上げるのが正解でしょう。

ピアジェの基本概念の次の二つはコンピュータサイエンティストにとって魅力的です。

一つめは、特に年端の行かない子供に置いては、知識は一連の操作モデルとして獲得され、それぞれのモデルは幾分場当たり的で、他のモデルと論理的に一貫している必要はないというものです。(それらは本質的に論理的公理や述語、定理などではなく、アルゴリズムやストラテジと呼ぶべきものです。)論理が使用されるようになるのは発達段階のずっと後半で、その段階でも論理を超えたストラテジが取られ続けます。

二つめの考えは、発達が(文化的な環境からは独立しているように見える)一連の段階に沿って進むというもので、それぞれの段階は前段階を土台として構築されますが、認識や一般化、因果関係の予測などの能力で大きな違いが見られます。それぞれの段階に達する年齢は子供ごとに大きく違いがあるものの、ある段階がその前段階にはっきり依存しているという点は変わらないようです。またもう一点、言語は思考の女王ではなくむしろ侍女であり、ピアジェやその他の人たちが見つけた証拠によると、そのような思考は言語に依らない映像的なものであるらしいということも後で重要になってきます。

発達段階


ピアジェとブルーナーの二人は発達の段階に名前を付けました。ブルーナーの付けた名前の方が少し分かりやすいので、以下にはそれらも合わせて載せています。(訳注1)

年齢 ピアジェ ブルーナー 性質
0- 感覚運動期 動作的 反射的反応、繰返し再現させようとする行動、新規な現象への興味、物の永続性の理解
1.5- 前操作期 言語的適応の始まり、質量の保存認識は未獲得、長さの保存認識の獲得
7,8- 具体的操作期 映像的 数の保存認識、事象の変換前後での不変なものを認識、推移律
11,12- 形式的操作期 記号的 力学的釣り合いの理解, 仮説演繹的推論/諸法則の帰納

もし発達段階に本当に依存関係があるのなら、進んだ段階のコンテキストを、まだその準備ができていない前段階にいる子供に無理に詰め込もうとすることは、意味が無いだけではなく害のあることかもしれません。例えば、今は子供たちに(「New Math」(訳注2)で)2次元のデカルト座標系での点集合トポロジーをできるだけ早い段階に教えることが流行っていますが、そこで教えられる知識は操作期にある子供は次の段階に進むまで座標系という概念を理解できないということを示すピアジェの一連の実験結果にそぐいません。しかし一方、そのような子供たちは連結、囲い込み、グループ化(全て相対的な概念です)などに関する非常に洗練されたトポロジの概念を持っているとされています。パパートとゴールドスタイン(訳注3)はこれらの側面を使用してグローバル座標系を用いずに幾何学とトポロジを教えました。こちらの方がずっと好ましいやり方といえるでしょう。

もし「述語的」(論理的、統語的)モデルよりも「操作的」(意味論的)モデルに信憑性があるという前提に立つなら、現在「New Math」で広く取り入れられている非常に統語的な考え方と衝突が起きることになります。例えば、自然数について:


"3 + 5"
"4 + 4"
"16 - 8"
"4 * 2"
"8"


上記は8という値を表す「数字」になると言われます。

このコンセプトは間違った理解を誘いやすく非意味論的なだけではなく、そもそも間違っています。(「8/3」がどういう数を表す「数字」だというのでしょうか?)

ミンスキーは次のように指摘しました。「New Mathの問題点はそれを使用するたびにそれを理解しなければいけないことだ」(20

子供たちの考え方の基礎と形式化に関するピアジェとその他の人々の研究は、コンピュータが子供の認識論を表現するのにほぼ理想的なメディアであると信じるに足る、非常に説得力のある根拠を与えてくれました。もし「操作的モデル」がアルゴリズム、つまりゴールを達成するための手順を表すものではないというなら、それは一体なんだと言うのでしょう。アルゴリズムはそれほど公式ばってはおらず、論理的な一貫性も必要とはしません(プログラムのデバッグに数時間を費やしたことがある人ならみんなそのことを知っているはずです)。これは全体的で、「真実」を正確に表現するよりも実際の仕組みに興味を惹かれやすいという子供たちの視点にとても適しています。その一方で、コンピュータは「思考」に関係するスキル(戦略と戦術、計画、因果の連鎖、デバッグと改良など)の形成を助けることもできます。寛容で誰からも見咎められず、しかも楽しい環境の中で、子供たちがそのようなスキルを自ら育てるチャンスを得られるというのはなんて得難いことなのでしょう!


The DynaBook (訳注4)




「蒸気によって計算されるのを神に願う!」
ー チャールズ・バベッジ(19歳)
ca. 1803

「ジャカード織機が絹でパターンを織るように、解析機関は代数パターンを折る」
ー ラブレース卿エイダ・オーガスタ






私たちには現在、DynaBookの登場を望むいくつかの理由があります。DynaBookは現在発明されている技術によって数百万人の潜在的なユーザーに売る(もしくはレンタルする)だけの価格で大規模に生産できるのでしょうか?そのデバイスのより実際的な側面(サイズ、費用、性能など)に関していろいろと検討することは、一番初めに私たちに行動を起こさせることになった難解な哲学を検討することと全く同様に重要なことです。これから数ページにわたって入り組んだトレードオフについて議論し、DynaBookの目標価格である500ドルは非現実的ではないと読者に分かってもらえるよう試みます。現在のコストの傾向および各部の大きさは目的に届くことを期待しています。500ドル以下で販売できるテレビのアナロジーを念頭に置く必要があるでしょう。では、DynaBookはどうあるべきでしょうか?

大きさは紙のノートよりも大きくてはいけません。妥当な品質の動的なグラフィック表示が可能であるべきでしょう。重さは4ポンドより軽く、画像表示は印刷品質の文字が、本と同様のコントラストで4000文字表示できるべきです。取り外し可能な局所記憶装置に100万文字(通常の本で500ページ分)保持できるか、数時間にわたる音声ファイルを保管できなければいけません。

アクティブなインターフェースはデバイス所有者からかけ離れた言語的なコンセプトを使った言葉であってはいけません。所有者は好きなときに好きな場所で自分のテキストファイルやプログラムを修正したり編集したりすることができるでしょう。仕事(や、学校の図書館に接続したときなど)でDynaBookは端末として使用できます。書籍を熟読したり、概要から情報を発見したり、必要であれば素早く局所記憶に転送できます。アンビリカルケーブルは情報の転送だけではなく、必要であればデバイスの持つ動力に電力の供給もできます。情報は300Kb/sの帯域幅、もしくは1冊の500ページの本を1/2分で局所記憶に転送できます。バッテリーの充電も接続中に自動的に行われるでしょう。

ここでは、「書籍」は買ったり借りたりする代わりに「インスタンス化」できます。("百科事典"から"わがままな女性の最後の冒険"まで(様々な本の))情報を熟読できるけれども、料金を払うまでファイルを取得することはできない自動販売機を想像するといいでしょう。この、コピーの作成を容易にし、情報を自分のために所持する機能はおそらくコピー機が出版を強化させたように(多少傷つけることがあったとしても)市場を弱体化させることはないでしょうし、テープがLPレコードビジネスにダメージを与えた訳ではなく、むしろ音楽流通の別の手段を用意したように振る舞うでしょう。 ほとんどの人は海賊版に興味は持たず、むしろ自分の持っているのものを自由に並び替えて再生したいと思うでしょう。

この「どこでも携帯」デバイスおよび、ARPAネットワークもしくは双方向ケーブルテレビによる広域情報ユーティリティは図書館や学校(店や広告じゃなく)、もしくは世界を家庭に持ち込むことになります。おそらく、所有者によって真っ先に書かれるプログラムは広告除去フィルタでしょう!入力は(皆がすでに学んでいる)キーボードか、そうでなければ古くからの習わしである秘書による「口述筆記キーボード」経由、または音声入力になるでしょう。デバイスのファイルシステムは音声情報(とディジタルヘッダー情報)にも容易に使用できるでしょう。しかし、それはなにか編集が行われる前に文字おこしされなければいけません。「インタラクティブグラフィック」は容量の関係上制限されると思われますが、画像はFAX文書として保持および編集できます。


表示装置



プラズマパネルなどのフラットパネル表示装置、外部CRTへの接続は大きさの要件によって決定されます。電力消費の関係上プラズマパネルは使用できない(これは、表示に5アンペア必要です)上に、ubiquitous CRTはどこでも使用できるとは言えません。次に何が残っているでしょう?われわれには、表示変更時のみ電力を消費し、それ以外の時には使わず、自然光の下で読むことができる何らかの技術が必要です。位相変化型液晶をx-y座標に並べたものは低電力電場で透明および不透明に変化させることができます。また、この表示装置は非常にわずかな電力で表示内容を保持できます。電極の幅は1ミリ程度、512x512の画素を変更するのに1/2ワット以下ですみます。(注:現在の技術でまだ512x512の画素を実現しているものはありません)

通常(画面を)見る距離で書籍と同様の品質になる文字を表示するには、視覚をうまくモデル化する必要があり、私たちの研究室で最近なされた文字生成の技術に関する知見を利用する必要があります(15)。これら印刷品質の表示を作るためには研究室品質のCRTディスプレイ端末を使用する必要があり、「ロード可能文字生成装置」を試験的に作成しました。ASCII文章をリアルタイム画像変換するためには、32x32のビットマトリクスで表現できる128文字のフォントを、高速バイポーラメモリーに動的ロードする必要があります。フォントの大きさ、太さ、下線などのオーバーレイ文字のフリルが提供される。写真は無修正で画面(875縦解像度)に表示できます。


[「ミケランジェロの生涯 ー 苦悩と歓喜」から3枚のテキストの写真、それぞれ異なるフォントが使用されている。フォント名は注記されている]


図1. 「Bodoniに似た」フォント (19


図2. 「Times Romanに似た」フォント (19


図3. 「Lydian Cursiveに似た」フォント (19


図4. 「Times Romanに似た」フォントで書かれた擬似Algolコード (19


最初の興味深い発見は、ディスプレイが「想定以上に」きれいに見えたということです。つまり、文字が量子化レベルから推測されるよりも綺麗に見えました。ただし、大きなサイズに拡大されると、すぐに見難くなります。この現象は直感的には視神経路が天然で持つノイズフィルタ機能が原因だと説明できます。本質的には、まず(視野角がほぼ.02度のウィンドウを使用して)信号の平均を取り、細かい角をぼかした後で、よりひろい範囲で微分して見た目を微調整し、はっきりした画像に戻しています。このフィルタ効果は孤立した小さなグリッチを除去し、私たちにとっては幸運なことに、文字を定義するマトリクスを美しく見せてくれます。そのマトリクスが小さければ、ですが。これはまた走査線が875本のテレビが、主観的には22" の視聴距離で見る走査線が525本のテレビの二倍以上に美しく見える現象をある程度説明してくれます。525本では走査線とその隙間が1/55"以上になり大きすぎるのです。

定義マトリクスが限られているので小さな文字は問題ですが、それでも想定よりは綺麗に見えます。このことを上手に行う2つのトリックは、文字の縦横比を変更すること(縦:横=2以下:1、つまり45度の角度を90度にする)と、非常に小さな文字に対して太字の効果を持たせるのに複数の幅のストロークを用いることです。(目のフィルターを欺いて、文字がノイズとして除去されずに強調されるようになる)

まとめましょう。ディスプレイ表面は、おそらく最低でも1インチあたり80〜100ピクセルの液晶であり、縦横比は垂直方向が1ピクセルに対して水平方向が約2ピクセル、かつ、全体のピクセル数が約1024x1024程度であるべきです。


キーボード



もちろんキーボードはできる限り薄くなるべきです。一切の可動部品をやめて感圧式とし、キーの押下に反応してスピーカーからクリック音が聞こえるということも可能でしょう。この種のキーボードは数年前から利用可能となりました。可動部品を持たないのであれば、いっそのことキーボードそのものをなくしてしまうことも可能です。

ノートブックの前面をディスプレイパネルが覆っていると仮定します。すると、どんなキーボード配置であってもディスプレイに表示することが可能となります。パネルの四隅に設けられた4つのひずみゲージが、タッチされた場所の位置を3/16インチ以内の精度で記録するでしょう。タッチタイピングできるように、ディスプレイパネルの下部へ多様な方法で質感を持たせることもできます。これなら、入力中の文字フォントをキートップに表示させたり、特殊文字をウィンドウに表示させたり、タッチするだけで利用者IDを選択するということが可能となります。


ファイル記憶装置



現時点で、書き込み可能なファイル記憶装置に対する控えめな(しかし重要な)要求を満たせる唯一の技術は、カセットテープやフロッピーディスクのようなプラスティック上の磁性酸化物です。最近までテープを扱うためには、ピンチローラーやキャプスタン、ソレノイドやモーターなどの寄せ集めを必要としていました。しかし現在では、テープの張力を一定に保ったり、差動駆動の問題は、多くのメーカーによって解決されています。3Mがカセットテープで実現した最もエレガントな解決方法は、「魔法の」ドライブヘッドを用いるものです。このヘッドは、テープの巻き取りリールの外側に接触しており、読み取り、書き込み、検索、巻き戻しに対して1つのモータのみを必要とします。1,600bpiのビット密度を持つ4トラックのテープならば、1インチあたり6,400ビットものデータを格納したり取り出したりすることができます。私たちが必要とする8Mビットのためには、1,250インチ(または105フィート)の長さのテープを持つカセットが必要です。もちろん、安全に利用するための間隙まで含めると、私たちの幻想上のカセットは、50%ほど余分なテープ、つまり150フィートの長さのテープを持つことになるでしょう。

ファイルディレクトリは(LINCがそうであるように)テープの中央に置かれるでしょう。そうすることで、ファイルディレクトリのアクセスに必要な平均時間が、テープを1周巻き取る時間の4分の1で済むことになります。そこから任意のファイルに至る平均距離もちょうどテープ長の4分の1となるため、結果としてランダムアクセスに必要な平均時間はテープ巻き取り時間の2分の1になります。検索スピードはほとんど完全に、望ましいバッテリー消費率と、モーターの能力とに依存します。3Mのカセットテープなら、1秒間あたり180インチまでの位置を定めることができます。つまり、100フィートのテープでは約7秒で巻き取ることが可能となり、ファイルへの平均的な待ち時間は約4秒となります。これはまずまずというところですが、こんなスピードでは、バッテリー駆動時にかなり多くの電力を必要としてしまいます。バッテリー駆動時の検索に対するより現実的な割合は1秒あたり60インチで、そうするとファイルへのアクセス待ち時間は約10秒となるでしょう。

フロッピーディスクは、2個のモーター(1個はヘッドの位置決めをするステッピングモータに使う)を必要とし、通常は連続して動作しています。後者はバッテリー駆動(9ページ)の際には受け入れられず、また、装置自体は動いましたり止まったりする必要もあります。フロッピーディスクの大きな優位点は、ファイルへのアクセス時間を悪化させることなく、1つのトラック上でスワッピングが行われるということです。(スワッピング記憶装置に関する概念や有用性については、プロセッサの節で議論します)


プロセッサと記憶装置



この2つのカテゴリーは私たちの幻想的なコンピュータにおいて、それぞれ最も廉価なコンポーネントと最も高価なコンポーネントを表しています。この2つを共に示す理由は、 プロセッサが必要とする主記憶の量に大きな影響を与えるからです。

以下では、今日の技術によって、性能とパッケージ化要件が必ずしも両立しないわけではないということを示そうと思います。(もちろん諦めなければならないことはあるでしょうが)HP-35電子ポケット"計算尺"のように、私たちの夢の中の救世主は安価なLSIコンポーネントです。HP-35は、3万個のトランジスタと等価な5つのLSIチップを持っており、1チップあたりの平均的なトランジスタ数は6000個です。現在すでにもっと高い密度の集積も達成されています。パッケージ化されたLSIチップの価格は、2年間で漸近的に12ドルに近づくように見えますが、すぐに5ドル程度まで急落するかもしれません。

今や、完全なCPUは1チップ上に実現可能です。現在の課題は、うまくパッケージ化したものを使うというよりも、プロセッサが持つべき特性が何かを決定することにあります。LSIのランダムアクセスメモリは、1024×1ビットのチップ(700nsサイクルタイム)がビットあたり1セントでパッケージ化されたものが普通に利用できます。4096×1ビットのチップも発表され、1ビットあたり0.35セントでのパッケージ化が可能なようです。8K×16ビットのメモリなら、およそ460ドルかかる計算です。(まだまだ高いけれど、勇気づけられる価格です)

最先端の充電池は、電動ひげ剃り機やテープレコーダー、電動歯ブラシ、テレビ等の出現によって、かなり進歩してきました。将来、さらに高性能の充電池を期待できるでしょう。

現時点で、DynaBookが必要とするICチップの予想個数は20個以下なので、これらをうまくパッケージ化できるだろうと考えています。

DynaBookに必要となるICの数は現在の見積でせいぜい20個ほどなので、当然このデバイスの電子部品はとてもきれいにパッケージ化されるでしょう。

そのプロセッサーは1個か多くても2個のLSIチップで実装されると予想できます。そのようなデバイスはもうすでに100ドル以下であって、いずれ15ドル以下になると見込まれています。それらの典型的なものは数千個のトランジスタと同等なものを含み、プログラムカウンタや数値演算や命令復帰スタックなどのためのレジスタを持っています。さらにキャリー先読み演算ユニットも使えるでしょう。そんなチップのひとつをプロセッサーに使った(そしてメモリ、キーボード、ディスプレイ、2つのカセットがついました)スタンドアローンの「スマート端末」が6000ドルほどで市場に出ています(Datapoint 2200)。

DynaBookはコストをおさえつつも端末以上のものであることを計画しているので、プロセッサー・メモリー設計にたくさんの注意深い思考を費やす必要があります。私たちは次のようにして、中心的で高価な部品であるRAMの利用を最大限にしたいと思っています。

  1. ビット当たりの命令の密度を最大にするような演算子の効果的な符号化。
  2. 基本的な論理データ要素(順序集合)が必要とするメモリ空間を最小にする符号化。
  3. いかなるシステムルーチンもRAMから取り除く(インタープリタも含む)。これですべてのメモリ空間をユーザーが利用できます。
  4. 仮想アドレス空間のファイルデバイスへのマッピング。これでRAMは最も新しく利用されたメモリ断片のキャッシュとして働きます。(テープマシンではこれは役に立たないと思った疑り深い人は、LINCの文献(17,18)>を調べると良いでしょう。そこには同様の仕組みが何千人ものユーザーによって何年も使われるという成功を収めたことが載っています。)
  5. 常駐する「システム」それ自体の必要性の排除。ファイルとユーザー変数の概念を融合することや、ユーザーがインタープリタと直接会話することを許可することや、割り込みを許す多重コントロールパスの評価器の利>用などで成されます。これらはシステムの内部で取り扱われるべきことです(7, 8)。


「中世の人々の思考には限界は無かった、おそらく語彙にそれがあったのだろう」
ー ウィリアムズ


いったいどんな方法をとれば、広く多様な可能性のあるユーザーたちの中の一人でも自分のマシンを通して彼自身と意思疎通するのでしょうか?「すべての人に対してあらゆることを」を与えられる特徴を持つひとつの言葉というのは、明らかに不可能です。普通の意味で「拡張可能な言語」もだめです。これら二つの魅力的な落とし穴をを考えから外して(いってみれば当然です)、残ったものはユーザーにとても単純で飾りのない(本当のプログラミングの動作を明らかにする)言語をもたらすチャンスです。そのような言語は、単純にも関わらず、幅広い表現が可能です。さて、コンピュータの何が他のメッセージシステムの上を行くのでしょうか?一つは、メッセージを無期限に遅らせることができること(メモリー)、あるメッセージを他のメッセージへ変換すること(プロセッシング)、そして変換自体をメッセージとして表現できること(プロシージャ)です。

この言語を使うことは、本質的に異なる二つの活動に分かれます。1. オブジェクトやクラスへ名前をつける(メモリーの関連付け)。2. 以前に保存した時の名前を与えてオブジェクトやクラスを取り出す。プロセスはこれら(活動)によって構成され、調査される名前がもう無くなったときに停止します。そのような言語の全ては、たった二つの概念から簡単に導きだすことができますが、興味あることをすぐに行えるように、2、3の名前についてはあらかじめ意味を持たせています。

次にあげる原則がDynaBook言語のデザインに使われるでしょう。

  1. 何のオブジェクトなのか、それらがどのように参照されるのか、他のオブジェクトをどのように取り扱うのかについての統一的な概念が必要です。
  2. それぞれのオブジェクトが自分の制御パスを持つなら、ひとつ以上のオブジェクトが動作している時に、各パスを調整したり「制御」する簡潔な方法があるべきです。
  3. コントロールパスの評価は、オブジェクト同士がどうやってメッセージを送り、結果を得るのかを示す単純な法則に従うべきです。
  4. システム内のすべてのオブジェクトは他のオブジェクトを使って再定義できるべきです。

基本的アイデアは関数とテーブル(もしくはプロセスとメモリー)の間の二重性をうまく利用するというものです。英語には名詞があり、それは「オブジェクト」に関連し、動詞があり、それは「アクター」や「話し手」に関連します。これはニュートン的認識論です。現代の物理学や哲学では、「オブジェクト」も「アクター」も単にプロセスの概念の異なる側面であるというアイデアに向かいつつあります。プロセスは状態(それに関わる一組の関連[having to do with it の訳に自信なし])を持ち、これは時間(他のオブジェクトとの相互作用として定義される)とともに変化します。この観点から見ると、「データ」とは変化の「遅い」プロセスであり、「関数」とは変化のより速いプロセスということになります。それぞれのプロセスはひとつの完全な「マイクロ」コンピュータとしての論理的な性質を持っています。つまり、インプットをとり、アウトプットを返し、ファイルシステム上のメモリーを演じ、演算を行い、割り込みを受けるなどができます。「コンピュータ」は他のすべてのコンピュータを(時間と空間の係数により)シミュレートできるので、言語がプロセスの概念を持っていれば、配列やレコードや再帰的手続きなどの有用なアイデアをいつでもレパートリーに加えることができます。

このような言語をハードウェアにより直接実行する技術はよく知られていて、シングルチッププロセッサーに収まります。(7

多重コントロールパスの概念は「ファイル」「オペレーションシステム」「モニター」という分割された概念を、ユーザーさえもプロセスのひとつである(だから変数や結びつけられたものによって構成された状態を持つなど)という単一のアイデアによって置きかえることを許します。ユーザーがマシンを離れると、彼のプロセスは次に彼のDynaBookに再び入る時まで不活性化されます。(現在活性化された)彼の状態はユーザーが離れている間は「ファイル」に構成されていました。ユーザー入力(JOSSやLISPなどの「ダイレクト」モード)の直接実行により、様々なプログラム評価の制御も追加の仕掛けがなくても完了します。複数の制御パスが許されるので、多数のプロセスが評価とデバッグの異なる段階にあっても構いません。 (1, 8, 9, 10, 11, 12, 13, 14


サイズとコスト



これまで議論してきた類の評価器に関する以前の経験から、それを実現するためにハードウェアとして8000ビットオーダの制御メモリが必要であることが示唆されます。このメモリは、今のところひとつのROM LSIチップと、もうひとつのプロセッサを必要とするでしょう。現在の最先端技術の延長として、これらをひとつのパッケージに統合できると考えることは、さほど現実離れしていません。メーカの大部分のコストは、テスト、基板、パッドなどによるもので、LSIパッケージの価格はパッケージあたり12-14ドルに近づく傾向にあります。そして、(生産量が合理的なら)むしろ装置の複雑さから完全に独立です。

「データ」と「コード」のインテリジェントエンコーディングは、BBN-LISPなどの似たような言語で同等の構造を保持するために必要なメモリを、3分の1以下に削減することを可能にします。それは、RAMの8K 16ビットワードが、PDP-10上のBBN-LISPの12K 36ビットワードと同等であることを意味します。

DynaBookコンピュータは次のものから構成されるシングルバスのコンピュータになるだろうと予想されます。


1個プロセッサチップ
16個(8K*1)のRAMメモリチップ
4個IOコントローラ(そして複数のプロセッサチップ - これもプロセッサチップでしょう?)
21個チップ。$14~$294.00の電子部品

この価格は、SFとごまかしのために、ほとんど信頼性がありません。しかし、一部の勇敢な読者は、途方もなく高いだけではなく、馬鹿げて高いと考えるかもしれません!


まとめ



空論と幻想が約束され、前の方のページでは示されただけのものを今はほとんどの読者が同意するでしょう(いくらかの与太話とたぶん根拠薄弱な気配と共に・・・?)。

私たちは、アルゴリズムの考え方を教えること、簡単な編集機能など(誰でも所有でき、どこにでも持って行けるすべてを包含した環境)を持つことの教育学的メリットを否定できないと感じます。パッケージや電力や重量の要件の検討結果は現代の技術の電子機器からそのまま導かれたものなので、恐らく間違いありません。ソフトウェアの知見、言語設計の指針、ユーザーインターフェイスのアイデアは少なくとも5年を経ています。主な3つのごまかしは、平面スクリーンの低電力ディスプレイ(現在存在しないが可能と思われる)、「スタンドアロン」の8Kのマシンがどの程度成し得るのかという推測、そして価格です。

DynaBookが500ドル(現在のミニコンと比較してとんでもなく安く、現在のテレビと比較してとんでもなく高い)で売ることができたと仮定してみましょう。ほとんどの子供(そして大人)がひとつ持つことを可能にするお金はどこにあるのでしょう? このような教育のために子供1人当たりに支出される平均年総額は、わずか850ドルです。非常に高品質の文字生成に注意を払う理由のひとつは年間約90-95ドルの学生のお金が教科書の購入、管理などに費やされるからです。DynaBookがその製品寿命(少なくとも40ヵ月)まで、この機能を担うことができるなら、およそ300ドルが利用可能になります。たぶん、この機器自体は、ルーズリーフのノートと一緒に配布され、そのコンテンツだけ(カセット、ファイルなど)が売られるべきでしょう。これは気持ちとしてはテレビや音楽パッケージが現在販売される方法と似ています。

私たちは、最高の生活は資源を共有することによって得られると感じる人々と故意に論争しませんでした。本との類似は依然意味を持ちます。図書館はとても役に立ちます。けれども、人はスケジュールも場所も(コンテンツも)100%の時間も我慢したくありません。ラリー・ロバーツが提案した無線端末はどうでしょう? (21) よし、OK。世の中を根底からひっくり返しましょう。グラフィックアニメーションや広帯域のアウトプットを目的にするのではなく。もう十分に語りました。

さあ、始めよう!


謝辞



この非常に「幅優先な」論文をまとめることへの助力に対し、ダニー・ボブローに感謝したいと思います。そして、Xeroxがこのようなことを考えるための素晴らしい場所を提供してくれたことに感謝します。


参考文献



1. Bush, V., "As We May Think", Atlantic Monthly, September 1946

2. Pines, M., Revolution in Learning, Harper Row, New York

3. Moore, O. K., Andersen, A. R., "Some Principles for the Design of Clarifying Educational Environments," Chapter 10 in Handbook of Socialization Theory and Research, Goslin (Ed), Rand McNally & Co. (1969)

4. Papert, S., Solomon, C., "Twenty Things To Do With a Computer," AI Laboratory, MIT (1971)

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6. Feurzeig, W., et al, "The LOGO Project," Volumes 1-4, Bolt, Beranek and Newman, Inc. (1971)

7. Kay, A. C., "The Reactive Engine," U. of Utah, Dept. Computer Science Technical Report (1969)

8. Kay, A. C., "Flex, A Flexible Extendible Language," U. of Utah, Dept. of Computer Science Technical Report (1968)

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11. Dahl, O. J., Nygaard, K., "Simula - A Language for Programming and Description of Discrete Event Systems," CACM, October 1966

12. Taitelman, W., et al, "BBN LISP Reference Manual," Bolt, Beranek and Newman (1971)

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